島津家に仕えた日当山地頭の徳田太兵衛こと「日当山侏儒どん」は、背丈がわずか3尺(約1m)の小柄なカラダながらも、頭の回転が早く、男気もあり、常にトンチを効かして笑いに変える剛毅でありながら、愛嬌のある人物だったそうです!現在までも日当山には日当山侏儒(ひなたやましゅじゅ)どんの功績と伝説を尊ぶ地域のチカラで、侏儒どん像が2体も残されています!
豊臣秀吉の朝鮮出兵で恐ろしいほどのチカラを振るった薩摩藩主18代島津家久は、チカラ、武力もさることながら、薩摩の平定をするためにかなりワンマンな殿様だったようです。そのワンマンさと、剛毅な性格の殿様に様々な進言をする配下の家臣は少なかったようです。
日当山侏儒どんは、その小柄なカラダに合わぬ性格と明晰な頭脳、ユーモアのある頓知で、島津家久の進言をしたり、下々のことをそれとなく伝えたりしました。島津家久もその体躯に合わぬ男気と勇気、頭の回転の速さを非常に重用し、お側にちょくちょく呼ばれました。
日当山地域では、ワンマンな島津の殿様に自分たちの苦労や大変さを進言するだけでなく、地域の地頭として農民や商人の心をガッチリ掴んでいた素晴らしいお武家様だったと今でも口伝、書籍に残されています。