当サイトは鹿児島県霧島市隼人に残る日当山侏儒(ひなたやましゅじゅ)どんについての逸話と今も多く湧き出る温泉郷「日当山温泉」のことをまとめたサイトです!日当山侏儒どんは豊後の吉六三さん(きっちょむさん)、肥後(熊本)の彦一さんに負けないトンチの名人だったそうです!ちなみに侏儒(しゅじゅ)とは小さい、一寸法師というような意味だそうです。
鹿児島県の霧島市隼人日当山(きりしましはやとひなたやま)地域に残る頓知英才の名人、
日当山侏儒どんは本名を徳田太兵衛といい、地頭として日当山の侏儒(ひなたやましゅじゅ)どんと呼ばれ地域の人々に愛されていたそうです。
非常に小柄な地頭さんで、地域の人々や薩摩藩の殿様からも非常に愛されていました。頭の回転が早く、男気もあり、常にトンチを効かして笑いに変える剛毅でありながら、愛嬌のある人物だったそうです!薩摩藩主18代島津家久に仕え殿様とのとんち合戦逸話が多数伝承されています。侏儒とは、小人を意味する言葉で侏儒どんは背丈が九十センチしかなかったといわれています。
現在の日当山には「日当山侏儒どん」の功績と伝説をたたえて、「日当山侏儒どん通り」「日当山侏儒どん橋」「日当山侏儒どんの石像」など多くの足跡と口伝や書籍による頓知話が残されています。
ひょんなことから引越した鹿児島県霧島市の日当山地域は温泉も多く、新興住宅地で公園も多い、明るくて住みよい街です。温泉も公園も多く子供を育てるにはいい地域です!鹿児島県内で最古の歴史をもつ美肌の湯 西郷隆盛もよく訪れた温泉郷で、昔から鹿児島の奥座敷として栄えてきました。鹿児島県内で最も古い温泉といわれ、美肌をつくる湯としても有名です。
住みやすく風光明媚で温泉も多い素晴らしい街「日当山」に残る「日当山温泉」はとても柔らかい温泉です。
殿様から「茶の実」を探して藩に治めよと命じられた侏儒どん。
しかし、季節的にお茶の実ができることではなく、農民はちょうど農煩期でもあった。
侏儒どんは一計を案じ、二、三日して日当山でもっとも歳をとった婆さんを連れて鹿児島(殿様のいるお城)に向かいました。
「恐れながら仰せの通り「茶の実(ちゃのみ)」を持参いたしました」
「うむ、ご苦労じゃった。で、茶の実(ちゃのみ)はどこじゃ。」
「はい、ここに控える者でございます。」
「なに、それは婆さんではないか。」
「はい。日当山で一番の「茶飲み(ちゃのみ)」でございます。」
「うむ、茶飲み(ちゃのみ)か・・。」
侏儒どんはしずかに手をついて
「殿、いかに立派な産業育成でも、農民や商人の立場、しもじもの者のことを考えない政道ならば、ただ人々を苦しめるのみにございます。」
「世の政道には民心をいやいやながら就かしめる道とこころよく従わせる道の二つがございます。」
この「茶の実(ちゃのみ)」はとても有名な話で日当山の「侏儒どん橋」に掲げられている頓知話でもあります。豪放で知られた島津の殿様に対していくら愛嬌のある「侏儒どん」でも、モノを言うのはある意味「命掛け」だったでしょう。小柄でも進退を掛けた進言と潔いジョークとユーモアのある頓知で殿様に下々の声を届けた「日当山の侏儒どん」。
200年近くたった今でも地域で愛されているのかがわかる逸話や伝説が今もあちこちに残されています。
「正しい政治」「みんなが幸せになれるための解決方法」「度胸ある行動」を日当山の「侏儒どん」は実行していたのですね!